トラスロッド
結成28年目にして、初のCDミニアルバムリリース!
完全生産限定盤
“TRUSSROD” are
横内TAKE健亨(G,Vo) 窪田晴男(G,Vo)
関雅夫(B,Cho) 石井為人(Keyb)
上原"ユカリ"裕(Dr) Mac清水(Dr,Perc)
ライブ会場またはメンバーへのDMにてお求めください
Profile
関 雅夫(せき まさお)
1955年8月13日生まれ。ベーシスト、作詞家。小田原市在住。ハイファイセット、原田真二、浜田省吾、織田哲郎、中村雅俊、葉山たけし、寺尾聰、庄野真代、稲垣潤一、松山千春、中村あゆみ、久保田早紀、つのだ☆ひろ、佐藤宣彦など、数多くの著名アーティストのレコーディング、ライブサポート、作詞を手がけ、意欲的に現役活動中。
History / Works
誕生
1955-08-13
静岡県浜松市弁天島で生まれる。
その後は各地を転々。(弁天島→名古屋→九州佐賀→東京小平市→横須賀市逸見)
Masa:写真は1958年頃。お袋の実家の佐賀県鹿島市で。 一緒に写ってるのは叔母です。
1962
小学校入学
横須賀市立坂本小学校入学。
1963年家庭の事情で数ヶ月間、母親の実家がある佐賀県鹿島市浜小学校へ転校。
その後再び横須賀市池上へ転居。
1964
小学生時代
1964年東京オリンピックが花々しく開催され世の中は高度成長期へ入る。
TVの無い家庭はラジオが主要メディア。
Masa:FENから流れてくるThe Beatlesのサウンドと、クレイジーキャッツの歌に何故かドキドキしてた(笑)
1966
Rockとの出会い
The Beatlesが来日し、武道館でコンサート。それからは世の中は第一次バンドブーム。いわゆるグループサウンズ時代へ突入。
Masa:近所の年上の兄ちゃん達が彼らの自宅の庭でバンド練習してるのに釘付けになり、魂を揺さぶられる様なカルチャーショックを受けた。
1968
中学校入学
横須賀市立池上中学校へ入学。
1969年の春に北九州市小倉区へ転居。
北九州市立菊陵中学校へ転校。
1970
バンド結成
中学での友人との出会いが音楽人生へのきっかけになった。その影響でお袋に無理言ってステレオを購入。なんとそれに白いアコースティックギターがおまけに付いてた。これが音楽人生の始まり。そしてその友人からBeeGees、Chicago、The Moody Blues、The Beatles、King Crimson、Grand Funk Railroad、Led Zeppelin …その当時のあらゆるレコード借りまくり聴きまくり、そしてついに中学校3年の時に初めてのバンドを組むことに。その時に男が弾くならベースだと決めていた。(考え方はかなりの硬派だった)
そして1970年に質屋にぶら下がってた中古のベースをゲット!メーカーは不明。
1970年は大阪万博へ修学旅行。それからは高校進学の為、音楽活動は休止。
1971
高校入学
福岡県立小倉西高等学校へ入学。
頭の中はロックな音楽が駆け巡ってたけれど、その当時音楽はあまり熱を帯びておらず、ロック少年は不良というレッテルを貼られる時代でもあった。
同時にフォークソングブーム到来で、井上陽水に傾倒。
Masa:写真は1972年頃文化祭でのフォークデュオライブ。今でもその当時の曲をライブで熱唱してます。(笑)
1974
日本大学芸術学部
美術学科入学
進学校だったので受験の波に飲まれた結果、美術だけは小中高通してオール5だったこともあり、1974年日本大学芸術学部美術学科へ入学。同時に軽音学部へ入部。これが正式なベーシスト人生のスタートに。
写真は軽音学部で組んでたバンド「ハニーパイ」の合宿時のもの。
1976
プロ活動スタートのきっかけ ハイファイセットのサポート「ガルボジン」の代役ベーシストに
Masa:1976年秋、軽音の先輩で僕が尊敬してやまないベーシストの宮下さんが相談に来られました。 実は結核で半年間入院するので、自分の代わりにハイファイセットのサポートバンドに入って欲しいと。二つ返事で承諾しました。夢のような話だったから。 そして、その年の暮れにはツアー準備が始まり、年明けには合宿でバッチリ扱かれました。サポートバンド名はガルボジン。メンバーには故・松原正樹(ギター)、新川博(キーボード)、重田真人(ドラムス)、宮下恵輔(ベース)が在籍。ガルボジンでは、アマチュアだった自分を合宿の濃密な時間で徹底的に音楽の基礎を叩き込まれました。あの時間がなければ今の自分はないでしょう。本当に感謝です。
1977
ハイファイセットの全国コンサートツアーへの参加
1977年夏頃までに20〜30本の全国ツアーを経験。「冷たい雨」の大ヒットでコンサートはどこも大盛況でした。
1977年芝郵便貯金ホールコンサートのパンフレットより
1977-1978
庄野真代のサポートベーシストとして活動
恩師の宮下さんが復帰すると、勤めを終えて次に決まっていた庄野真代のサポートバンドに参加。
1978-1979
原田真二のサポートミュージシャンとして初の武道館ステージを経験
1978年春からは原田真二のサポートバンドに参加。 初めての武道館コンサートを経験。その12年前にThe Beatlesがコンサートを行ったという空気感をしみじみと味わう。
武道館コンサートはCD「タイム・トラベル~武道館’78」DVD「原田真二 OUR SONG and all of you ~Live at 武道館~」というタイトルで作品化(現在は廃盤)
1980-1982
原田真二&クライシス(SHINJI & CRISIS)結成
レコーディングからライヴに至るまで原田真二と活動を共にする。
初代メンバーは原田真二、豊田貴志(キーボード&バイオリン)、古田たかし(ドラムス)、関雅夫(ベース)。ポリドールから2枚のオリジナル・アルバム「HUMAN CRISIS」「ENTRANCヨ(エントランス)」をリリース。1982年まで在籍。
1983
織田哲郎バンドに参加。
CRISISを離れ、織田哲郎バンドに参加。
織田哲郎とは2015年の関雅夫還暦記念LIVE、
2018年の織田哲郎還暦バースデーLIVEでも共演。
1978~1983~1990
寺尾聰、久保田早紀、南佳孝、中村雅俊などのサポート、
数々のライブ・レコーディング・セッションに参加
1983年までの6年間における活動の他に、寺尾聡、久保田早紀、南佳孝、一風堂(一風堂としてデビューする前) 等々の ライブ・セッションや数々のレコーディング・セッションに参加。以後は、中村雅俊、中村あゆみ、中川勝彦、マリーン、山口岩男等々のサポートを務める。
1983~
作詞家・作曲家・プロデューサーとしての活動を開始
1990-1997
浜田省吾のサポートミュージシャンとして活動
1989年に浜田省吾のレコーディングを経て、彼のサポートメンバーに参加。1997年 浜田省吾バンドが解散するまでサポートを務める。
1990-2000
元PANTA&HAL、ハリケーンのギタリスト佐藤宣彦プロデュースによるJ-ROCKの数多くのレコーディング・セッションに参加
1996
「Relax-Diet」のリリースの作曲を担当
作曲家としてリラクゼーションCD 「Relax-Diet」 をリリース。
2004〜2007
佐藤宣彦、丹菊正和らと「MARICI」を結成。
メンバーは、松葉美保 (Vo.)、 佐藤宣彦 (Vo.Gt.)、関 雅夫 (B.Vo.)、 稲垣雅紀 (Key.)、丹菊正和 (Drs.Perc.Vo.)。
2010〜
1996→2024
「TRUSSROD」でアルバムをリリース
2023-
超絶プログレッシブ・アートロックバンド「ZiLnaRio」(ジルナリオ)始動!
ギター伊藤正、キーボード大谷哲範、ドラムス山田達也、ベース関雅夫。メンバーが持ち寄ったオリジナル曲ばかりをレパートリーにしてるから、それをいじって「ジルナリオ」に(笑)。 もちろん僕も曲を書いてます。まだ一度しかライブやってないホカホカバンドです。
to be continued...
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